エーステは果たして天国なのだろうか?
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始めに、この記事を一読頂けると嬉しい。
エーステ秋冬が無事に大千穐楽を迎えた。これでしばらくはチケ戦に介入することはない。毎日公式からの供給に沸くこともない。譲渡やサイドチェンジをTwitterで何度もスクロールしなくて良い。外苑前や天王洲アイルを往復しなくても良い。次の現場まで至極平穏な日常に戻ることができる。
この約半年間のスケジュール帳を覗いてみると、自分がどれだけエーステに時間を割いていたのかがよく分かる。それは物理的なものだけではなくて、精神的な部分にもだ。
忘れもしない春夏の大千穐楽の日。その情報解禁は若俳界隈全てに衝撃を与えた。私も例外ではなく、むしろ当事者となった。
推し始めて三年。遂に自分の推しに大きな舞台が来てしまった。
キャスト発表を見たとき私は絶望した。余りにも、キャストが強すぎたためだ。
推しもそれなりにこの界隈では年季のある俳優である。しかし、某掲示板を見ればスレは恐らく一年以上動いてないし、忍ミュやツキステ界隈にいる友人達はその存在すら知らなかった。スレに関しては推し界隈が平和だから、というのもあるけれど、推しがここ数年それだけ大きな舞台に出てなかった証拠でもある。
発表された共演者はほとんどがこの界隈で知名度の高いキャスト達。中でも荒牧さんは天下人である。チケットが激戦になるのは明らかだった。
そのため、この発表の時点ではとりあえず知名度の高い俳優との共演を嘆き、劇場のキャパに絶望し、いかにしてチケットと時間を確保するか…ぐらいしか考えられなかった。
最速先行の抽選は、案の定全てかけて全てに落ちた。
この時点での私の持ちチケットは、友人の当選した一枚と、比較的取りやすかったと言われる大阪の譲渡チケット一枚である。その後すぐに青年館のチケットもお譲りが決まった。今思えば、凱旋チケットに関してもこの時点で動けばもう少し取れたかもしれない。反省しきりだ。
42公演もある長い公演期間の中で、たった3枚ぽっち。そのうち二枚は20近くのリプがついた中でのお譲りチケット。もう自分のあまりの力の無さに嘆くしかない。
二次先行で一枚。そして更に譲渡を探し抜いてもう一枚。12月時点で合計5枚。
「観れるだけ良いじゃないか」
普通ならそう言われても仕方ない数は確保した。しかし、若俳界隈ではこの公演数に5枚なんて、少なすぎる。最早茶の間も良いとこだ。
茶の間にはなりたくなかった。激弱オタクだけど、最低限の割合で現場に入りたい。推しのどんどん良い方向に変わっていく演技をこの目で観たい。何より、エーステはファンサ舞台。ファンサのチャンスを逃したく無い。
そう考えては、チケット取りの下手な自分に死にたくなるの繰り返しだった。
正月が過ぎ、エーステ秋冬が動き出していた。推しは毎日のように稽古写真をあげてくれた。
そして、ここでも大きい舞台の影響を知る。
推しのツイートへのリプが恐ろしいくらい増えていたのだ。
普段、彼のツイートにつくいいねやRTは3桁である。
公演期間に多少は増えても、それでも4桁になったことはほとんど無い。初めての出来事だった。
例えば、自分が寝てる時間にツイートされるとする。朝起きたら既に反応が4桁になっている時の衝撃は忘れられない。
自分のリプの大きさが、とても小さいものに変わってしまう。恐ろしいと思った。
これからどんどん、推しは売れていくのだろうか。人気になって、とても遠い存在に変わってしまうのではないか。そう考えては死にたくなっていた。
きっと、エーステに出た俳優さんを推してる人達は、多かれ少なかれこの感情と戦っているのかもしれない。分かっていても、辛かった。
そして迎えた初日。私は仕事をしていた。とにかく仕事して、ソワソワするあの独特の緊張感を忘れようとしていた。
初日が終わり、客降りの導線を確認した。幸い、私の持っているチケットは埋もれはあれどどの座席も推しが比較的近くに来る場所ばかりだった。
最初の青年館は前方席だった。物販を終え、座席に座る。片方はぽっちゃり気味な恐らく原作オタだけど、とても身なりに気を使っていらした方。私を挟んで通路席はよく若俳界隈だと叩かれるタイプの身なりの方だった。
その間に座る私は、どう見えているだろうか。
開演時間になり、今年最初の現場が始まった。
2ヶ月ぶりの推しは、ステージでカッコ良くダンスをキメていく。一度ターンミスをしかけたのを知っているのは、恐らく私を含め同担だけだろう。
舞台はとても楽しかった。お話も面白いし、劇中劇の推しは本当に素敵だった。
本編が終わり、客降りが始まる。手を振りながら推しが通路横を通りすぎる。
タイミングが合わず、私の列で彼は別の方を向いていたため手も振れなかった。仕方ない。
途中で別の方からファンサをもらった。拳を合わせる雄三さんだ。以前の自分ならとても素直に喜んでいただろう。しかし、今の私には無風だった。驚きはしたけれど。また、個人的に可愛い孫枠な涼星君もお花をくれた。可愛い。
客降りから舞台に戻ってくるのを眺めていると、ふいにセンブロ辺りで悲しそうにため息をつく人を見つけた。
舞台が終わってから、お隣の小綺麗なぽっちゃりさんが
「雄三さんからファンサ貰ってましたね!!!!すごい!!!」
と興奮気味に話しかけてくれた。
(そうか、これは喜んではしゃぐべき出来事なのか)
とても今更な事実に気付き、とりあえずその方には驚いて放心…というような返事をした。興奮してキャッキャ!というテンションにはなれなかったからだ。
これがもし、推しだったら私は素直にはしゃいでたのかもしれない。
少しだけその方とお話し、先に私は席を立った。
ぽっちゃりさんの方は、すぐに見つけた友人であろう方と幸せそうにはしゃいでいた。
(良いなぁ…)
と私は穏やかな気持ちで、その光景を後に出口への階段を登って降りた。
素敵な舞台で、周りの観客からは幸せそうな、嬉しそうな言葉しか聞こえない。
この舞台に出てるのが自分の推しということに、私も嬉しく思いながら帰路についた。
今日は残念だったけど、このあと二回は客降りのある通路だ!
次の公演にワクワクしながら。
2回目の公演も楽しかった。少し遠い席だったけど、青年館は後方でも見やすいから平気だった。大阪のブリーゼブリーゼは本当に悔い改めてくれ。
本編が終わり、客降りが始まる。通路席だった私は、推しの客降りにワクワクしていた。
推しが来た。目の前を通り過ぎた。だけど、私はお手振りすら貰えなかった。
他のお客さんにはハートを返したり、お花を撒いたりしてるのに。
(※後からあちこち検索してみたら、どうやら同担も同じだったらしい。推しは自分のオタクを干す率が高いタイプの俳優だったことをすっかりこの時は忘れていた。)
推しが舞台へ戻っていく。他のキャストさんからお花を貰ってもハイタッチを貰っても、私の心は晴れなかった。いつもはニコニコと観劇することを心掛けているのに、それすら出来なかった。この前見たため息をついていた方の気持ちがわかる。
この時点で推しの客降りが確実な手持ちの席は残り一回。私は徐々に嫌な予感を感じながらこの日も帰路についた。
3回目の観劇。また客降り干されたらどうしようという思いを抱えながら、私は外苑前からの道をノロノロと歩いた。
この日の推しのコンディションは最悪だったように見えた。
ダンスミス、独白シーンのセリフは棒読み気味、劇中劇までミスの連続だった。
客降り。こんな状態の推しにファンサが欲しいなんて思えない。ただ無事に舞台が終わることだけを考えていた。推しはいつも以上に機械的に手を振り、花を撒いて去っていく。当然ファンサは貰えなかったし、そもそもこの日は諦めたから尚更だ。と思い込むことにした。
舞台が終わり、青年館を出る。周りのお客さんはテンション高くウキウキとさっきまで観ていたエーステの話をしていた。観劇の度に見る光景。
それが何故だかとても羨ましく感じた。
同じ舞台を観ていたはずなのに、何が違うのだろう。
客降りを不安がり、諦めたと自分に言い訳して。こんなこと推しに申し訳ないし、舞台を楽しみきれていない自分に嫌気がさす。
4回目。この日は友人と3人での観劇。今まで趣味の近い友人達でも、作品の界隈が違っていたので一緒に観るのはあまり無い機会。エーステの大きさを知った。
本編での推しはこの前とは打って変わってキラキラしていた。埋もれ席だったし、自分には大阪もある。まだ、まだ大丈夫。そう言い聞かせた。
例え、他の人がファンサを貰ったという報告を見たり聞いたりしても。
友人との観劇はとても楽しかった。休憩時間に座席で他愛ない話をしたり、劇場を出てから駅までエーステの感想を言い合い笑う。客降りでのこの人が可愛かったね!あの場面のあの人のダンスが良かった、あのキャストさん凄い面白い…
推しを誉められるととても嬉しかったし、自分も友人の推しを誉めたりした。
この日は友人がいて本当に良かったと思う。結果、東京では一度も推しに気付いてもらうこともできずに自分の観劇は終わってしまったからだ。
その事実を紛らわすことができて助かった。
山口公演は行かなかった。行かなかったけど、エーステの情報だけは欠かさず気にしていた。
大阪。この時点では最後の観劇予定だ。私はせっかくの遠征なのに、推しに会いに行くという事実が少し憂鬱になっていた。再び客降りの導線席だったことが、余計に億劫にさせた。
この日、私は若俳仲間の後輩と会う約束をしていた。先にマチネを観ていた彼女は、推しから直接ファンサを貰えたと喜んで話してくれた。彼女はとても可愛く、推しのために努力をしている子だ。
羨ましかった。一回でファンサを貰えた彼女が。
何度入っても、お手振りすら貰えない私とは違う。目線すらも貰えない私とは。
でも、可愛い後輩の嬉しそうな顔が見れて良かったと思う。推しの次の現場の話、彼女が最近行った推しイベの話。グッズのやり取り。
他担の子と情報共有できるのはシンプルに楽しい。余計な邪推が入らないから。
座席の違う彼女と分かれ、同行の方と合流した。その方はまた別の他担。その方の推しさんの努力に関して聞いたり、トレブロ開封のお手伝いをしたり…。推しが違うと文化も変わるなと実感しながら、劇場をゆっくり見渡した。
梅田芸術劇場メインホール。キャパは私が見た中で恐らく最大の場所だ。
ここにいる観客の一人一人、誰かしら気になるキャストがいたり、キャラクターがいるのだ。
その中で同担はどれだけいて、そして自分は推しからしたら何番目くらいなのだろう。
そんな嫌な事を考えてしまう。
本編が終わる。この日の推しは、この時点でのベストアクトだった。梅芸は音響が良いのだろう。これだけでも観れて良かった。
そして、憂鬱な客降り。
私はまた干された。分かっていたけれど。
これで何度目なんだろう。
虚しさが募った。虚無。まさしく虚無だ。
同行の方とは明るく別れ、地元に帰る後輩ちゃんにLINEを送り、ホテルへ戻る道を歩く。帰りに出待ちを待つ人達が何人かいたのを見かけた。普段は翌日の事を考え真っ直ぐ帰宅していたから、出待ちというのを見たのは初めての事だ。そこまでの根性は持ち合わせていないので、見ただけで通りすぎたけど。
そこに同担がいたのは見てみぬフリだ。
ご飯を買ってホテルに帰る。推しのツイートを見たら、急に何もかもが虚しくなった。そして泣いた。ワンワン泣いた。推しのことで泣いたのはこれが初めてだった。
私は何をしているんだろう。何故、何度も何度も干されながらそれでも観にきてしまうんだろう。
地方公演は楽しいから?手にしたチケットがその公演だったから?演技がより良くなった推しが観たいから??
そんなの全て綺麗事だ。推しからの何かが欲しい。一瞬だけでも良いから気付いて欲しい。その目に映してほしい。
リアコではないはずの私ですらこれなのだ。推しと呼べる人に本気でリアコしてる人なんて、もっともっと辛いだろう。好きな人が他のライバル(同担)に構っていて、自分には何も無かったとしたら。
それは最早絶望と呼んでも良いのではないだろうか。
推し活動を始めてから、明確なファンサのある舞台はこれが初めてだった。初めはワクワクしていたはずなのに。
ファンサ舞台は、推しがいる人にとっては地獄の舞台なのだとこの時思い知った。
一度だけ見れば満足できるような、「推し」と呼べる人が存在しない人なら楽しいだろうし、2推しや贔屓にしてるってくらい軽い気持ちで応援してる俳優さんしかいなければ尚更だろう。
演者と同性のオタクなら、どれだけ良かったか。
エーステは確かに素晴らしい舞台だ。こんな素敵な作品に推しがいるなんて幸せだし、ショーマスは推しのファンサに期待しなければ本当に楽しく、ドーパミン大放出!なひとときだ。
けれど私達俳優オタクは違う。それだけでは満たされない。
推しを見たいがために、チケット戦争に参戦し、明らかに無謀すぎる譲渡にも勝ち、やっと劇場に入ってもその劇場の中にいる観客達と戦わなくてはいけないのだ。
ただ普通にストレートに終わる舞台なら、こんな辛い思いしなくて済んだのに。淡い夢を見たまま、満たされて終わるのに。
大阪から帰ってきてから、私はこのままでは終われないと凱旋のチケットを探した。そのうち春単独やラジオの先行があったので、そこで手に入れたチケットを交換に出し、何とか4枚のチケットを錬成した。
春単独も、ラジオも、原作厨ではない私には何の価値も無かった。
私にとってエーステとは、「推しが出演している舞台」
その一点のみだったからだ。
チケットの錬成は最早意地と根性だった。毎日譲渡や交換を探し、サイドチェンジで3階から1階席に出世させたり…。血眼になりながらひたすら『エーステ 交換』『エーステ サイドチェンジ』という単語をスクロールさせていた。
譲渡は希望額のものしか残っていなかった。もう、ここからは何かしらの強い手持ちが無いとチケットを手に入れる資格も無いのだ。
そして、迎えた凱旋公演。本来ならば無かったはずのチケット。
1枚目は一階席前方。推しの立ち位置に近い席だった。
推しの客降りを半ば捨て、意地だけで手に入れたチケットだったので、前方席はとても楽しかった。運悪く同担が同じ列に固まってたこと以外は。
本編は相変わらず素敵で。でも、この日の客降りは地獄だった。推しとは反対の通路席の方が近いくらいだったので、別にお手振りに期待はしてなかった。してなかったけど。
3つ隣の同担には笑顔で手を振るのに。ポーズだってキメてるのに。
自分には。
私は遂にファンサを求めることを諦めた。
推しが壇上からしたポーズに思わず返してしまいそうになり、やめた。
それは私へのファンサでは無いと初めから分かっているからだ。
惨めだった。そして推しに笑顔を向けられない自分が嫌で嫌で仕方ない。
推しを見続けられない自分が本当に大嫌いだった。
もう何もかも諦めてはいても、友人がすすめてくれた可愛いワンピースの時期だと思えばそれを着ていくし、いつも行く美容師さんにせっかくだし髪巻こう!と言われれば巻いてもらう。
その全てが自分のためであり、それ以上に何度も何度も叩きのめされている推しに会うからだと思うと自分の単純さに笑ってしまった。
この日はラジオのチケットをお譲りした方との同行だった。
センブロの若干下手寄り。見事に真ん中の列で、ちょうどキャストさんの目線の位置だった。
もう夢も希望も持てなかった私は、とにかく笑顔でいようときめていた。
推しではない誰かを見つけようと、前向きなのか後ろ向きなのかよくわからないポジティブ加減だった。
しかし、この日は序盤からいつもと違っていた。
OPから推しと目が合ったのだ。何度も入ってるのだ。感覚でわかる。
そこから、別の場面で他のキャストさんが話しているとき。
ふと、推しの方を見ると、ニコッと笑いかけてくれた気がした。目線をずっとこちらに向けてくれていたのだ。
少し驚いたが、恐る恐る笑顔で軽く頷いてみる。
すると、何と推しも微かに頷き返してくれたのだ。おい本編中だぞ。良いのか。
独白シーンでも、あちこち見るようにしている推しがこちらに長めに目線をくれた。
嘘でもお花畑と笑われても良い。これまでの干されっぷりが嘘のように、この日は本編で目線をくれた。
それだけでも嬉しかったのに。
ラスト。客降りが始まった。
推しは初めて私に明確にファンサをくれた。
どんなファンサかは割愛する。しかし、周りに同担がいなかったのは確認済みだったし、同行のお姉さんからも、
「ファンサ貰ってましたね!!」
と証言を得たので間違いない。あれは間違いなく、私へのファンサだった。
嬉しかった。ずっと、ずっとその一瞬のために通っては、何度も何度も叩きのめされていたからこそ、余計に嬉しかった。
推しが離れてから、私は思わず泣きそうになった。でも、嬉しいは楽しいに変わり。
その日はニコニコと、やっと「エーステは天国だ」と本気で楽しんで終われた。
ここまで嬉しかったのには、訳がある。
それは、このファンサが公式から注意があった後の公演で貰えたからだった。
その後3階で一度観劇し、前楽は当日券だったので引き換えて速攻推しの立ち位置と交換を果たし、私のエーステ期間が幕を閉じた。
大楽は大人しくライビュを観た。
結果、何だか推しからファンサを貰うための奮闘記みたいになってしまった。
改めて書いてみると…いや必死だったな…
もうエーステの何ちゃらじゃないね。ただの意地の戦いだな。
エーステ、楽しかったです。それは本当。
でも、これだけ天国にも地獄にも変わる舞台も無いと思う。客降りのラストでため息つくか笑顔か全然違うんだぜ。
ライトなオタクからしたら、話は面白い、客降りある、ファンサ曲楽しい!な最高な舞台なんだけどな。
俳優オタクからしたら、通うまでが大変なだけではなく、座席に座ってからも戦いが続く地獄の舞台ですよ。まぁこれはファンサ舞台のほとんどに言える事なのかもしれないけど。
推しのファンサ舞台、私は懲り懲りです。
2推しの舞台や推しのいない舞台なら行きたいかな。
まぁそれでも。推しが出演するなら結局通ってしまうのがオタクなんですけどね。